【入院中】だった祖母がお正月に帰って来た時の話。
命日
昨日は祖母の命日でした。
今から14年前の昨日、
祖母は他界しました。
肺ガンでした。
記憶では、
その1週間前、
当時の自宅で一緒に正月を迎え、
おせち料理やお餅も食べてました。
そのさらに1週間前は、
もう長くはないということを病院の医師から、
父・母・僕・次男・三男に告げられ、
家族会議をした記憶を今でも鮮明に憶えています。
祖母は、
とても頑固でな女性でした。
そして、
我慢強く、
弱音一つ吐かなくて、
愚痴一つ言わない、
素晴らしい女性でした。
その頃、
まだ本人は、
元気に回復して、
また元の生活に戻るつもりでいたんだと思います。
その為に、
辛い治療にも耐えていたように思います。
でも、
「次は最後のお正月になるから・・・。」
と医師に言われ、
病院での辛く痛い嫌な思い出よりも、
自宅で落ち着いて楽しい思い出を、
と想い、
それを本人にどう告げるのか?
という会議をしましたね。
年末の寒い夜、
それは深夜になるまで。
父・母・次男は、
”何も言わずに何も知らせないままの方が良いのではないか?”
と。
僕は、
本人にココロの準備をして欲しいから、
残酷かもしれないが、
”何となくでもわかるように伝えた方が良い”
と主張してしまった。
三男は最初、
”どちらが良いとも悪いとも言えない”
と考え込んでいたが、
最終的に僕の主張した意見に賛同していた。
結果、
僕と三男の意見が通り、
伝えることとなりました。
その時の今は亡き父の涙は忘れることができません。
「それだけは言わないで欲しい。」
と。
翌日、
伝えることとなり、
それまでの祖母は、
気丈に振舞っていました。
伝えて終えたその後の祖母は、
途端に元気がなくなった様子でした。
「やっぱりね。」
とでも言うように、
祖母の背中がそれを物語っていました。
そして、
その正月は集まれる限りの身内を呼び、
とても狭い当時の家にかなりの親戚が集まりました。
その2日後には再入院し、
14年前の昨日、
息を引き取りました。
自分の主張した本当のことを伝えるという行動は、
良かったのか、
今も自分のココロの中で、
もしかしたら、
”逆に言わない方が良かったのではないか?”
と問い続けています。
祖母が他界してからの数年間、
年末年始は、
常にそのことを思い出してしまいます。
10年以上経った今も、
時々思い出してしまいます・・・。
そして、
お墓参りの時は、
墓前で答えが帰ってくるはずも無く、
問い掛けてしまいます。